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藤原不比等論

藤原不比等

日本の歴史上もっとも偉大な政治家は北条泰時だと私は思ってきたが、よくよく考えれば、藤原不比等もそれに勝るとも劣らない偉大な政治家である。北条泰時藤原不比等によって日本の国体はできた。伊勢神宮天照大神を原点とする神道とそれと深く結びついた象徴天皇の誕生である。

そのような北条泰時に勝るとも劣らない偉大な政治家・藤原不比等について、実は、私が納得できる論文がないのである。そこで、今回、私なりに「藤原不比等論」を書くことにした。

記紀は、藤原不比等の深慮遠謀による素晴らしい創作物語である。 藤原不比等の大改革によって「中臣の大祓の祝詞」が作られ、それに基づいた記紀神話が創造された。 大宝律令は「祓いの神道」の国家計画化が大前提になっている。「祓いの神道」の国家計画化がなければ、天皇主権法治国家というか天皇を中心とした中央集権国家はありえないのである。したがって、「祓いの神道」の理解なくして、藤原不比等を理解したことにはならない。

神道史大辞典」(園田稔、橋本政宣編、吉川光文社、2004年6月)によれば、『 記紀に見える須佐之男命の千座置戸(ちくらのおきど)の祓の神話は、祓の起源を物語る説話である。このような古い祓をもとにして、おそらく天武天皇の時代に、国中のあらゆる罪をはらい清めることによって、新しい国家社会を建設することを意図して、大祓の儀式が創始され、やがてこれが毎年6月・12月晦日の大祓の朝儀として制度化されることになった。』・・・とある。

八世紀初頭に成立した日本書記、同時期に律令制国家神道は完成しているが、それらは一体のシステムだった。

祈年祭で中臣氏は、次のような祝詞をあげた。

天皇が稲穂などの幣帛を、穀物の実りをつかさどる神に捧げるからこそ、神の加護を得られ、これをもって農耕に励むことで、豊作が約束される。

言葉を換えると、捧げ物をしなければ豊作も約束されないわけだ。

このような国家祭祀のミニチュア版が各地方の神社の役目であったと。そこにおいても、昨年の最良の収穫物を土地の神々に捧げ、その霊力を付与されていたはずである。そのような地方の全ての神社の中から、有力な神社が選ばれて、その祝 (神職)たちが、遠路はるばる都の神祇官まで参集し、国家の祈年祭に参加し、皇祖神の霊力で満たされた稲穂以下を班与されていたのである。

『 皇祖神=宇宙神の霊力の宿る稲穂などを班与(分け与えた)のは、それを地方の神々と村々に与えることで、彼らの自発的な皇祖神への感謝の気持ちを引き出し、それによって、神々への感謝の初穂の名目で、租税を取り立てることができる。』・・・と藤原不比等は考え、その考えを全国に広めたのである。

つまり、国家から地方へ広がるこのようなネットワークを通じて、神の霊力を宿した種籾が百姓に配られた、ということになる。つまり八世紀に完成した中臣神道は、律令制を維持するための政治的な側面も持ち合わせていたのである。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/huhito.pdf